子育て世代の私が次女の専有欲をきっかけに考える人類の在り方・平和になるための方法
次女(1歳10か月)が公園で遊んでいてふと思った
他人が、世界が、全体が幸せであること=自分が幸せであること
と考えると全てうまくいくのではないかという理想論について書きたいと思います。
次女の自分だけが良ければそれでいい欲とは人間の根源的な欲
次女(1歳10か月)が公園で遊んでいると、
同じぐらいの月齢の子が滑り台に行くと、走って追い抜いて自分が滑り台をして、
相手の子がブランコにいくと、またブランコに行って相手の子よりさきにブランコをします。
これって、全てを自分が占有したい欲求ですかね。占有欲。
言い換えると自分だけが良ければ欲とも言えそうです。
1歳10ヶ月でこのような行動をとると言う事は全ての人類の基礎的な思考として埋め込まれているように思います。
だからこそ、自分の地位、都合のために、自分だけが良ければ欲を出して、戦争もすれば、環境も破壊します。
それが人類なのでしょう。
究極の選択肢をどう考えるか
では、こういう問いはどうですか?
以下の二つのどちらを選びますか?
- 自分または、自分の子供が幸せになるが、世界のどこかで貧困で亡くなる人がいる世界
- 自分、または、自分の子供が今よりも不幸になるが、世界で皆が同じくらいまあまあ幸せになる世界。
正直私は1を選ぶと思います。
でも、理想は3ですよね。
3.誰もが幸せに満ちた生活を送る世界。
じゃあ、1でもなく2でもなく3にするためにはどうしたらいいか。
3なんて理想であって、そもそも無理だし、時間かかるし現実的なのは1だから普段3なんて考えもしないのではないでしょうか。
でも、それが前に進まない原因だと思います。
そろそろ真剣にみんなで3を考えませんか?
という話です。
どう考えれば上手くいくのか。それは思考のちょっとした転換ではないか。
3であるみんなが理想の状態を実現するためには、冒頭の自分だけが良ければ欲をうまく使う必要があるのではないでしょうか。
つまり、
他人が、世界が、全体が幸せであること=自分が幸せであること
となれば、自分だけが良くなるためには、
みんなが幸せである必要があるから、
そのための行動ができるようになりませんか?
屁理屈ですかね。
結構本気で考えています。
自分だけが良ければ欲の、自分という言葉を、皆の、全世界の、地球のって置き換えてしまう
だけです。
それだけで全てが上手くいくのではと思っています。
ではなぜその思考の転換ができないのか。それは、みんなが一緒に転換する必要があるから。
でも、それって一部の人だけやってもみんなが同じ考えにならないと意味がないのでは?
誰かが一方的に攻撃をしてくるかも。
そう。そこが難しいですよね。
世界中でこの考え方に至れば世の中の問題は解決する。そう確信していますが、なかなかにそれが難しい。
SDGsも結局は一緒だと思います。
タイミングを合わせて同じ思想になれるか。
今自分ができることは、目の前の人を信じること。でもそれが人類の在り方・平和になるための方法だと私は思う。
みんながお互いを信頼できるかにかかっています。
そして自分ができることは相手を信じることだけではないでしょうか。
そこからみんなが一歩ずつ初めて、その活動が大きくなる事を期待して、私はまずは目の前の家族を、周りの人を信じるところから始めます。