早期教育ってなんだろう
先日、妻と長女(5歳)が小学校受験の1日講習会?みたいなものに参加してきました。
私は仕事で参加できなかったのですが、話を聞くと
ペーパーのテスト
集団行動
運動行動(くまさん歩きみたいなもの)
といった小学校受験のメニューをこなして、先生からできてるところとできていないところのフィードバックを受けたようです。
先日、英語の塾で初めてテストを受けましたがやはり、子どもが評価されてしまうという点に、まだ違和感があります。。
勉強とか英語みたいなものって確かに大事だとは思いますし、フィードバックを受けること自体もいいことだと思っています。
が、どうしても〇とか×を見てしまうと、ここで評価されてしまうことが
本質はそれだけではないのにって思ってしまいます。
例えば、返事とかお辞儀の仕方も指導してもらったようで、
それら礼儀も社会では大事なのですが、どうしてもそれより重要な教えるべきことがあるような気がして。。。
やはり、小学校受験を中心とした教育というのではなくて、あくまでも補佐的で部分的なものでしかないってことをしっかり意識しながら行動していきたいと思いました。
ちなみに、親の面接で早期教育についての考えを問われるようで、
検索すると定義は以下のようです。
「早期教育」とは、未就学期のお子様を対象に、通常のお子様に教育が施されるよりも早い時期から算数、読み書き、外国語、音楽、体育などを学ばせる教育法です。
となると、私の本心の答えは、
子どものころから高い壁を与えられることで、やってみようと挑戦する素養が磨かれる点に対して、肯定的にとらえています。
ただし、落ちぶれたり、ネガティブになったり、人と比べがちになったりと負の側面も想定されるので、大人がしっかりと子どもと向き合いながら実施する必要がある教育法だと考えています。
また、早期教育は、あくまでも教育の子供が自立するという大きな目標達成のための手段の一つであり、それがすべてという位置づけだとは考えていません。
今時点では、これぐらいの答えでしょうか。。
これは本心なのですが、小学校受験ではマイナスなのでしょうか。。。
もう少し妻とも考えていきたいですね。
次女の1歳の誕生日
今日は次女の1歳の誕生日です。
桜が散り始めてかなりあたたくなったこの季節が大好きです。
新生活のドキドキ感が好きで毎年春が待ち遠しい
さらに今回から次女の誕生日が重なってさらに春が好きになりました。
1年前を思い出すと、もう懐かしい気持ちになってしまいます。
こんなに大きくなって、とてもかわいくって
親ってなんて幸せなんだろうって思います。
これで遊びたいという強い自己主張が全面にでてきた次女が
これからどんな風に成長していくのか楽しみです。
そしてあたたかく見守っていきたいとあらためて思いました。
今日の朝、妻と長女が、次女が起きたとみるやハッピーバースデーをうたっていました。
よくわかってないけど、楽しくて手をパチパチ叩く次女。
それがまたかわいくって
とても素敵なシーンに見えて幸せだなと感じました。
今日はとてもいい日だったよ
いつも長女に今日はどうだった?と聞きます。
ここ半年ぐらいは~ちゃん大っ嫌い
とか
~ちゃんが怖い
とか
友達とうまくいっていなくて、あまり保育園が楽しくなさそうで心配していました。
また、カードゲームが苦手で、友達とやるとどうしても負けてしまうので
勝ち負けがつくものが余計に苦手になってしまって友達の輪に入れてなさそう。。
家で遊ぶ時も、
それって勝ち負けある遊び?
と聞いてくるし。
とても悩ましかったのですが、大きな干渉もせずに任せてみることに。
これも本人で乗り越えないといけない壁だと思っていました。
昨日、いつもどおり今日はどうだった?と聞くとめずらしく
とっても楽しい一日だった!
と。めずらしいなと思い聞いてみると
~ちゃんと、~ちゃんとおままごとしてとっても楽しかったんだ。
怖くもなかったよ。
ちなみに~ちゃんはお母さん役で、~ちゃんはお姉ちゃん役で、私は猫役!!
と。
猫役でいいのかどうかはよくわかりませんでしたが、
とりあえず友達と楽しく遊べたのでよかった。
少し成長できたのかなとも思いました。
(勝ち負けのつかないおままごとだったからなのかもしれませんが)
今後、勝ち負けがつく世界にどうせ飛び込むので、今時点では焦らずにしておくべきか、
多少無理にでも練習させておいたほうが良いか悩ましいですね。
なんで子どもって楽しそうで大人ってつまらなそうなんだろう(子どもの知性獲得の行為から見る)
我が家の次女(11か月)が徐々に知性を出してきました。
ちょっとお片付けしたいときに、柵を用意して次女を隔離すると、
どうにかして柵を乗り越えようと試行錯誤します。
柵を押す、持ち上げる、引く、横にどける、違うルートを探してみる
こういうところを観察すると人間本来の本能として考えて工夫して試してみるという思考があるんだなというのを改めて感じます。
一方で、大人になると、まずネットで検索して、答えや教科書を見つけてその通り実行する
試行錯誤もしないから、発見したときの楽しさなんてものもない。
子どもが楽しそうで大人が楽しくなさそうなのはここの違いにあるかもしれません。
自分のやりたいことがあって=お父さんの方で遊びたい
どうしたらよいかを考えて=柵を押してみよう
結果をみて試行錯誤する=押してダメだったから、持ち上げてみよう
成し遂げた快感とともに知性が身に付く=持ち上げたら下を通れた!
これを繰り返しているような。。
できないことができるようになるって幸せの一部だと思うんですよね。
それを日々感じている子どもと、作業的に生きている大人の違いですかね。
となると、自分もいろいろ試してみたくなってきますね。
まずは、どうやって時間を作るかですかね。。。
0歳にできて大人にできない幸せを配る社会貢献
今日は我が家の次女(11か月)の社会貢献についてです。
私は最近、仕事で本当に社会貢献できているのか、もっと貢献できる分野とか、自分が貢献したい領域があるんじゃないか?という問いを考えています。
システムエンジニアという仕事も社会に対して貢献できているのはわかるのですが、
もっと、こうなんて言ったらわからないのですが、
あたたかくて、普通の人がやっていないことをせっかくだからやってみたい
という思いが最近あります。
なので、ボランティアの説明会にでたり、子育てに興味があるので保育士資格の勉強をしてみたりと時間を見つけては活動をしています。
ただ、我が家の次女は0歳にして素晴らしい社会貢献をしていることに気付きました。
そう、バスや路上でおばさまたちに笑顔を振りまいて、幸せを配るという社会貢献です。
次女はなぜか、外では笑顔を絶やしません。
目についた人に手あたり次第に笑顔を見せます。
11か月の乳児にこんなことされたら、大抵のおばさまたちはいちころです。
よく話かけられるし、おばさまたちも笑顔になって幸せそうにさっていきます。
自分にはできない社会貢献ですね。うらやましい。
やっぱり子どもっていいなと思う瞬間でした。
※家では笑顔ばかりではなく怪獣の一面もあることを補足しておきます。
一人目と二人目の違い
今日は一人目と二人目の違いについて、現時点で分かったことを書きます。
ちなみに、我が家は長女(年中)と次女(11か月)の二人姉妹です。
私は、次男で一人4歳上の兄がいます。
妻は、長女で一人3歳上の兄がいます。
一番大きな違いは一人目は甘やかされるこれに尽きます。
あまり意識していなかったのですが、やはり一人目は親のリソースがふんだんに使えるので、かなり手取り足取り世話をしてもらったというのが大きいです。
我が家でも長女のほうがどちらかというと甘えたがりで受け身、次女のほうが自己主張が強く自分でなんとかするタイプに見えます。
次の違いは、耐障害性
1点目と近いのですが、一人目は障害がなく不自由なく暮らしてきましたが、二人目は長女がいる段階からスタート。おもちゃを取られたり、泣かされたりすることはしょっちゅうです。
こんな経験長女はしてこなかったので、障害にたいする耐性は次女のほうがありそうです。
3点目は気遣い
やはり気遣いできるのは長女になります。自分が長女だという自覚から家族への気遣い、他者への気遣いがしっかりできます。どちらかというと次女は自己優先的です。
一人目は親の愛情をふんだんにもらえること・気遣いをする機会が多いこと、二人目は上の子に鍛えられること、それぞれの特徴が人格形成に少なからず影響しているような気がします。
そしてその特性は我々夫婦も同じような気がしてなんだか少し面白いです。
また、こんな感じで自分も育てられたんだろうなと自分の親や兄弟をふと思い出したりします。